第3回 斉藤 智喜:Directorスペシャリストの現在(いま)(1/2)
斉藤 智喜(さいとう ともよし)
有限会社モストミュージック代表取締役。千葉県出身、東京都在住。ゲームソフト、CM、テレビ番組などの音楽制作に従事した後、1989年に有限会社モストミュージックを設立。1990年代中頃からDirectorを使ったCD-ROM、キオスク端末コンテンツの制作を数多く手がける。1994年にCD-ROM『旅作』がマルチメディアグランプリ教育作品賞を受賞。現在は、ウェブサイトやSNS構築、3D映像、キャラクター制作など、幅広いフィールドで活躍中。
Directorとの出会い
─ 斉藤さんと言えばDirectorということで、まずはDirectorとの出会いを伺いたいな、と。
Directorはね、バージョン1から使ってますよ。Directorっていう名前になる前は、VideoWorksっていう名前で、表示できるのはモノクロだけだったんですよね。実際にデジタルコンテンツの制作を始めたのは……1986、87年くらいかな。
― 一番最初はどういうものを作ったんですか?
Directorに触る前は、ずっと音楽を作っていたので、Macで音を作って、それを編集室に持って行ってMA(Multi Audio。映像に合わせて音響処理を行う作業)、なんてことをやっていたんですね。
そこで、「Macで音楽作ってんだったら、ロゴを動かしたり光らしたりしてくれない?」って言われたのがきっかけでした。
はじめはStrata 3D(3D CG作成ソフトウェア)を買ったんですが、10秒くらいの映像をレンダリングするのに1週間くらいかかるんですよ(笑) そこで、Strata 3Dではコマ飛ばしでレンダリングして、Directorでそれを補完するアニメーションを作りました。
― そのときLingo(Directorで使用するスクリプト言語)は……。
無かったです。HyperCardが進化したような、ボタンを押すとどこかのページに飛ばすっていうレベル。
― 当時はCD-ROMコンテンツが世にあふれていて、CD-ROMといえばDirector!だったんですが、それはもうちょっと後のことですよね。
そうですね、世界中が注目した『Spaceship Warlock』(1990、Reactor)というゲームがあったんですけど、あのときはCD-ROMドライブが1倍速。外付けしかなくて、値段も12万円くらいしましたね。
CD-ROMドライブが一般に普及してきたのは、さらにもう少しあとで、1993年くらい。
― そこから、本当に多くのタイトルを手がけられてますよね。
たくさん作りましたね。自分たちで撮った写真や、作品を集めて、ポートフォリオのようなものを作るためにDirectorを使ったこともあります。
― 思い出深いソフトウェアだと思うんですが、今後への期待はいかがですか?
もう新しい機能は何もいらないから、不具合とか、おかしいところを直してもらいたい!(笑) あとは、動作スピードが速くなるとか……。
― 謙虚!(笑)
ピアノ、ギター、シンセサイザー
― もともとお仕事をされていた音楽は、いつ頃から?
最初は、小学生の時にピアノをやってました。ピアニストになりたくて。
― えっ、もしかして今でも弾けるとか?
小学生の時だけしかやってなかったから、もう弾けない(笑) そのあとはずっとギターを弾いてましたね。
― ピアノつながりでシンセサイザーをいじったりとかは?
デジタルなんて全然ダメだったんですよ。ワープロもいじったことなかったし。大学は物理学科を出てるくせに(笑) 友達がFM-7(富士通が発売した8ビットPC)とか使ってたけど、僕は興味がなくてギターばっかり弾いてました。
その後、1988年くらいに出たKORGのM1っていうシンセサイザーは買いましたよ。作曲をしたくて。
― カラオケの打ち込みを作る仕事を始められる頃ですか?
そうですね。その頃、太田さんとも初めて会って。太田さんの高校の時の友達が、僕の大学の時の友達だったんですよ。それで紹介してもらって。